How High the Moon
1986
建築素材であるエキスパンド・メタルで構成された輪郭がそのまま構造となった、倉俣史朗の代表作であり、デザイン史の中でも重要な一脚。フォルムは伝統的なアームチェアだが、それまで家具に使われることのなかった素材を用いることで、倉俣らしい「軽やかさ」や「儚さ」が表現されている。美術品のような雰囲気でありながら、椅子として「座る」機能が確保されているのは倉俣が意図したところ。
この椅子は、日本国内の鉄工所で製作され、倉俣の設計した空間に納められただけでなく、IDÉE でも販売(1986-97年)。また海外では、vitra.が製造・販売を行った(1986-2009年)。今回は、クラマタデザイン事務所監修のもと、オリジナルの図面を元に改良も加味し、ギャラリー田村ジョーの手で復刻。
発表当時の鉄工所はすでに存在しないため「How High the Moon」の2シーター版など、長きにわたり倉俣作品に関わってきた鉄工所が製作を行っている。エキスパンド・メタルの先端と先端を「ろう付け」の技法でつないでいるのが、日本で製作されたモデルの特徴。メッキを取り巻く環境も変化したため、当時の仕様に近いニッケルサテンで仕上げている。これだけのサイズの椅子にメッキを施すことができる工場は国内でも僅か。失われつつある日本の金属加工の技術を使って、「How High the Moon 」は蘇った。
因みに、椅子の名前である「How High the Moon」は、ジャズのスタンダードナンバーの名前から来ている。倉俣邸には、ジューン・クリスティの女性ボーカルが入った、スタントン・ケントン・オーケストラ版のCDが残っているので、倉俣はそれを聴いていたはず。
日本と海外のエキスパンド・メタルの規格が異なるので、vitra.版と復刻された「How High the Moon」はサイズが異なる(W955×D825×H695 SH330mm 設計図ベース)。また、完全に手作りなので、それぞれ微妙にサイズが異なる。
座っても凹まないように、座面部分のエキスパンド・メタルには厚い部材を使用し、エキスパンド・メタルの製造過程で生じるバリは、ワイヤーブラシで丁寧に除去。スカートやストッキングが簡単に破れるようなことはないはず。
Photo: Ryoichi Yamashita
Dimensions: W955×D825×H695・SH330mm
Country of origin: Japan
Materials: Expanded metal
Sing Sing Sing
1985
倉俣が好んで用いた素材のひとつであるエキスパンド・メタルを用いた最初の椅子。座から背にかけての流れるようなS字のカーブにこの素材がカンティレバー構造になっており、脚と一体となった肘掛けのカーブは4つのRで構成。絶妙な緊張感を生みだしている。名前の「Sing Sing Sing」は、乗りの良いジャズのスタンダードナンバーから。椅子のフォルムも同様に、リズムを感じさせる。
座面や肘掛けのラインは発表以来何度も変更が加えられており、同じ「Sing Sing Sing」でも数多くのバージョンが存在する。初期には座面が黄色のモノも。一時期、フランスのXO社でも製造されていた。ギャラリー田村ジョー版は、最終の図面を元に原美術館の回顧展で展示されていたモデルを参考に製作されたもの。初期のデザインと比べ、完成された美しさがある。
Photo: Ryoichi Yamashita
Dimensions: W525×D607×H858・SH440mm
Country of origin: Japan
Materials: Expanded metal
Apple Honey
1985
安藤忠雄が1985年に設計した京都・下鴨のカフェレストラン、モン・プティ・シュのためにデザインした椅子。真横から見ると緊張感のあるフォルムは、鉄製のスツール部に、肘掛けと背もたれが一体となったステンレスパーツを差し込んだもの。これを傷つけずに仕上げるには、職人の高い技術が要求される。そうした大変さを見る者に感じさせないのが、倉俣デザインの特徴のひとつ。
倉俣の家具は、クライアントから依頼のあった施設のためにデザインされた場合、使い勝手まで考えられているものが多い。「Apple Honey」も座面が低く、復刻版はしっかりクッションが入っているうえ、座面が脚より2センチほどセットバックされているので、掛け心地はかなり良い。
倉俣はこの椅子のデザインには相当に苦労し、夢にまで出てきたことが自著『未現像の風景』に記されている。椅子の名前は、ジャズのスタンダードナンバーから来ている。
Photo: Ryoichi Yamashita
Dimensions: W480×D470×H720・SH420mm
Country of origin: Japan
Materials: アーム:ステンレス シート:レザー 脚:スチール